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ご祭神

誉田別命 ほむだわけのみこと

(応神天皇 おうじんてんのう)

 仲哀天皇の皇子で、御母は神功皇后です。天皇は深く内外の政治に大御心(おおみこころ)を用いられ、文学を奨励し、数多くの地溝を開き、灌漑の便を御計りになられたことから、厄除け開運の御神徳と共に、わが国文教の祖、殖産興業の守護神として信仰されています。

息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと

(神功皇后 じんぐうこうごう)

 仲哀天皇の皇后で、応神天皇の御母です。武内宿祢(たけのうちのすくね)と議り、懐胎の御身をもって男装して海を渡り、新羅を征せられた後、筑紫に凱旋し、無事応神天皇をお産みになられました。この御事跡から、武運・安産の神として信仰されています。

玉依姫命  たまよりひめのみこと

 鵜葺草不合命(うがやふきあえずのみこと)の后、初代天皇であらせられる神武天皇の御母神で、婦道に御功績が多く、育児の神として信仰されています。

ご由緒

 葛飾八幡宮のご創建は平安朝の昔、寛平年間(西暦889年〜898年)で実に千百年以上も遡ります。宇多天皇の勅願により京都の石清水八幡宮より勧請し、下総の国総鎮守八幡宮としてご鎮座したのが始まりです。以来歴代朝廷の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰も深く、当宮は下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。なかでも平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復、徳川家康の御朱印地社領52石の寄進等その尊信は篤いものでありました。

 現在もご祭神のご功績から厄除開運・必勝(「勝つしか」という名の通り)・安産・育児守護の氏神さまとして、地域の方々の崇敬を集めております。

 毎年9月15日のご例祭日より20日まで、広大な境内で催される農具市(通称ぼろ市)の盛況さは、かつて関東三大農具市のひとつに数えられるほどでした。また、33年毎に斎行される大きな祭り、「三十三周年式年大祭」があります。 

千本イチョウ(国指定天然記念物)

 ご神木の国指定天然記念物「千本公孫樹」(せんぼんいちょう)は、推定樹齢1200年といわれる巨木で、その姿は『江戸名所図会』にも記録されています。多くの幹が寄り添って支え合う姿をしていることから、縁結びの御神徳があると伝えられています。また乳の出ない婦人が乳房の形をした公孫樹の瘤(こぶ)を削り、煎じて飲むと、乳の出が良くなるという言い伝えから、育児守護の信仰があります。千本公孫樹はまさにこの地に暮らす氏子の成長を見守り続けた木の長老、我が郷土の誇るべきご神木です。

 また、古来千本公孫樹には白蛇が棲むといわれ、その姿を見たものは、幸福・財運を授かるとの言い伝えがあります。

元亨の梵鐘県指定有形文化財)

 この梵鐘は寛政5年(1793)正月19日、境内のケヤキの大樹が暴風で倒れた際、その株根から出土したと伝えられています。

印刻されている銘文から当宮の創建年代、社殿の位置などが知られます。元亨元年(1321)12月17日、右衛門尉丸子真吉によって寄進されたものですが、梵鐘の笠形の部分には字体の異なる細字で「応永28年(1421)3月21日」と三行に刻されていおり、この刻銘が何を意味するのかは、諸説あって明らかではありません。

随神門(市指定有形文化財)

 明治維新以前は、天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺の仁王門でしたが、神仏分離によって当宮の随神門となりました。両裾に位置する随神(右大臣・左大臣)のある場所には仁王像がありましたが、現在は行徳の徳願寺に遷されています。

 和様、木造単層切妻の構造をもち、屋根はかつて茅葺きでしたが、現在は銅葺き。三間一戸、丹塗りされており、桁行10.36メートル、梁間4.45メートルです。

(平成14年8月、塗り替え修復工事竣工)

 春には桜、秋にはイチョウの木が美しく彩りを添えます。

八幡の藪知らず

 広さ約300坪、北側は千葉街道、東・南・西は人家と境にしていますが、近世以前はもっと広かったと伝えられています。柵内左にある大きな石碑には「不知八幡森(しらずやわたのもり)」と記されており、一度入ったら二度と出られないと語り継がれてきました。

 現在お化け屋敷や迷路のことを「藪」と称するのはこの八幡の藪(やぶ)知らずの伝説からきていると言われています。

月岡芳年 画 「不知八幡森乃実怪」